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それからひと月あまりが何事もなく過ぎたその日、院長不在のため、担《かつ》ぎ込まれた妊婦の診察をわたしが担当したが、
「まずいな、もう生まれかかっているぞ」
 婦長に向かって、
「急いで院長を呼び戻してください」
「行き先がわからないからできないわ。溝口先生がやってください」
「経験がないのはわかっているでしょう、猫寺婦長」
「わたしはあります」
 婦長は落ち着き払っていた 。
「どうせ借り腹ですからね、これは……。すぐにすみますわ」
 実際、出産は簡単だった。生まれてきたモノの足を掴《つか》んで逆さ吊りにした両手を、片手に持ちかえた猫寺婦長は、あいた手でそのモノの尻をペンペンと叩くと、
「どう、かわいいもんでしょう」
 そのモノは、わたしを見て酒店式月租にゅうと笑った。
「さあ、カルテに記録して」
 婦長がうながす。
 半ば気も動転、戸惑っていると、
「わたしが言うわ。典型的〈異種|受胎《じゅたい》〉——いいわね」
(そんな用語は医学事典にはない)
 と、呟《つぶや》きながら、独語でも英語でもなく、とりあえず漢字で書いておく。
 それから、体重やら身長やら体液型性別の判定などなどいろいろ手伝わされ、ようやく終わった。
 出産の終わった女は、いっときの休憩後、けろっとした顔で、
「あたしの腫瘍《しゅよう》は悪性ではなかったんですね」
 と、帰りしな婦長と話していた。
 もっとも、彼女自身は、妊娠したという自覚がまったくないらしい。
 婦長も婦長だ、
「ええ、そうよ、麻利亜湯の奥さん。奥さんの腫瘍はいつもと同じものよ。きれいに摘出したわ」
 わたしは、彼女のカルテを見直してびっくりした。すでに何度も〈異種受胎〉をしているのである。
 彼女を見送ってから、
「天使を受胎するなんて信じられません。医学の常識から完全に逸脱しております」
「当然よ、ここは非常識の世界ですもの」
 けろりとした顔で応じ、
「麻利亜湯は知っているわね」
「ええ。となりですね」
「高い煙突があるでしょう」
「あります」
「煙を出しているでしょう」
「ええ」
「ほんとうの母親はあの煙よ」
「えッ!?」
「あれがマリア様よ。〈原型樹木〉〈蒸気機関〉〈雌の縊死体〉〈処女〉とも呼ばれる〈花嫁〉よ」
 衝撃<中六數學が走った。